松井守男 公式ウェブサイト 仏レジオンドヌール勲章受章「光の画家 松井守男」
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[1952] 10歳、学芸会にて。一番左。
[1958] 16歳、学生。
[1967] 3月横浜港にて。守男24歳のとき、横浜からナホトカへ船で向かい、飛行機からナホトカからハバロフスク、シベリア横断してモスクワ、遂にパリ「西駅」へ。 3週間近い旅程であった。
[1969] 南フランス、イエールのエドゥアール・ピニョンのアトリエにて。ピニョン夫妻の旧友、ピカソと美術評論家エレーヌ・パルムランと出会う。そのときピカソは松井に言った、「若き中国人の友よ、君は私のように偉大になるだろう」。松井は答えた、「私は日本人です。先生、私の作品も見ずになぜそのようなことがわかるのですか?」。ピカソは言った、「君の作品は君の眼を見ればわかる。僕の眼と同じように。」
[1972] パリにて。「Etres humains(人)」シリーズ。
[1975] パリのアトリエの屋上にて。
[1986] パリのアトリエにて。
[1990] 東京にて、自身の作品「宝石画」をまとって。
[1999] …そして氏のトレーラー!アブダビにて。
[1999] シェイク・ハマド・ビンハムダンアル氏のパワーワゴン。氏に招かれ、沙漠開発の城「バルザン」を訪問。
[1999] シェイク・ハマド氏の肖像画。キャンバスに油彩、98x98 cm。
[1999] 4月、モンテカルロにて。モンテカルロ・アトリウム前に展示された作品「掛け軸」(1000x215cm 1987)の記者発表。
[1999] モナコ、オペラ座のアトリウム。
[2000] モナコ・グランプリ。1984年来の友人、F1会長バーニー・エクレストン氏と共に。
[2003] 4月、松井守男の展覧会の調印式でのアルブレヒト2世SAS皇太子、エリザベス-アン・デ・マッシー夫人(モナコのテニス同盟及びトーナメント委員会理事長)、SMETT委員会理事長アラン・マニグレー氏
[2006] ベルネームジュヌ画廊ディレクター ミッシェル・ドーベルヴィル氏と夫人と、氏のコルシカ島のアトリエにて
[2008] 2008年より使用している長崎県五島列島の校舎内のアトリエ
[2008] シャネル・ネクサス・ホールでの展覧会に使用されたポートレート。
[2008] 日本のハロー・キティの家に招かれ、マリリン・モンローのバスタブにて。
2009年より五島列島の名誉消防署長を務める(前列中央)
[2010] 五島列島の文化施設にて。「ノーモア長崎」のキャンバスの前の小学生たち。
[2010] 東京、クラブ・コンシェルジュの7周年記念に作品「平和」が掲出された。
[2010] 豊橋市美術博物館で7-8月に開催された回顧展にて、1999-2009年のユネスコ事務局長 松浦 晃一郎による 平和へのスピーチ。
[2010] 五島列島の学校内のアトリエにて。2010年9月6日発行の朝日新聞に、記事と共に全面で掲載された。この日の発行部数 8,031,579部。
[2011]5月8日、対馬空港での除幕式。2011年作「勇気」と「力」73x92 cm、2011年作「光」73x92 cm。
[2012] 1月10日、小倉駐屯地成人祝賀行事で、「Hope Japan」の作品を前に
[2012] 5月30日、長崎県美術館での美術展の開会式
長崎県五島列島の校舎内のアトリエの廊下
ピカソと松井守男だけを高く評価したピエール・デックスの評論
ピカソと松井守男だけを高く評価したピエール・デックスの評論
松浦 晃一郎氏(1999-2009年 ユネスコ事務局長)
「松井守男画伯に捧ぐ」コルシカ島にて山下洋輔氏